ITAYA SPIRIT

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なかがわの森 × UNGAPLUS

 

北海道の北部に位置する中川町は、総面積の87%が森林に覆われた自然豊かな町です。南北に流れる大河川「天塩川」を軸に、緩やかな曲線を描く三日月湖が点在し、原生的な水辺の景観が残されています。開拓時の原風景の面影を残す地の一つに、『板谷』という地があります。明治期に、北海道の近代化を主導した小樽の商人、板谷宮吉が所有し、入植者たちによって切り開かれました。その先人の思いを継ぎ、「なかがわの森」から切り出される木材を使い、北海道の作り手によって生まれる手仕事を通して、板谷宮吉の物語をお届けします。小樽と中川町、二つの地が繋ぐ歴史に思いを馳せ、その接点を知り、今を生きる人々との交流によって生まれた未来へつなぐプロジェクトです。

明治から大正にかけて、北海道の物流拠点として栄えた小樽。明治に入り、小樽港は、函館に代わる港町「商港」として重要性を高め、明治15年(1882年)に幌内鉄道が開通し、石炭積出港としても賑わいを見せていました。
商港として栄えた小樽港を背景に、小樽の商人たちは、北海道の近代化を主導していきます。その小樽商人の一人、板谷宮吉は、海運業や倉庫業、回漕業など、多角的に事業を拡大し、明治45年(1912年)2月、板谷商船株式会社を創立します。真駒内に所有していた農場を道に無償で譲った代償として、安平志内地区の土地を所有し、板谷農場として開発し、現在の「板谷」という地名が生まれました。

小樽商人としての板谷宮吉の活躍はめざましく、豊富な財力と優れた経営実績を評価され、樺太(現在のサハリン島南部)庁長官からの要請で樺太銀行を創立し、頭取に就任したほか、現在の小樽商工会議所の前身である小樽商業会議所の設立に携わり、小樽の発展に尽力しました。

二代目宮吉、板谷真吉は、初代の没後に二代目を襲名し、事業の多角経営を成功させ、小樽市名誉市長も務め、市政にも貢献しました。多額の寄付金で、北海道初の市立中学校、現小樽市立長橋中学校の創立にも寄与し、現在も活躍の痕跡が遺されています。

時とともに、味わい深い色合いに変化を遂げ、木の素材だからこそ生まれる表情が魅力のプレート。
 
中川町の自然が育んだ木の表情を取り込み、手にするたびに、木の温もりが感じられる器。

小樽と中川町、二つの地に継承する街の記憶を繋ぐ「ITAYA SPIRIT」。「なかがわの森」で育まれた木を素材に、生み出されてくる風土が重なる手仕事をお楽しみください。

板谷宮吉が中川の森の一部を農場とし、切り拓き、栄え、そして無人となるまでの約70年間。そこで見守り続けてきた樹木の年輪をモチーフに、ロゴを制作しました。
当時の中川の町から更に奥深くに位置する板谷は、人が長い時間を過ごすには厳しい地でしたが、森に秘められたその場所には、それでも人々が逞し生きた証左として今もわずかな遺構と木々の記憶が存在しています。
年輪の中に板谷の形の穴が空いたこのロゴは、重ねられた歴史の中から、板谷という地が今また人々の目に留まり、その記憶と魂を次代に伝えるという意味をこめています。
また、穴の空いた樹木は空洞木(くうどうぼく)と呼ばれ、長い年月を経て古木となった樹木によく現れる症状と言われています。しかし状態の良いものについては大変貴重で、その風合いを活かした木製品に加工されるといった経緯から、生まれ変わりという意味もこめました。

ITAYAの地を未来へ繋ぐ作り手たち。
上段、左から:髙橋綾子/前田裕人/KIM GLASS DESIGN
下段、左から:清水宏晃/クドウテツト/Liaison

木の声を聴き、形を生み出し、使い手へと繋いでいきます。