木型 目出鯛

三津和広×UNGAPLUS

 

お干菓子の木型から生まれた、小樽の九谷焼。 北前船の船主達が魅せられて北の地に運んだものの中に九谷焼があります。九谷焼は北前船の船主達が多く居住した石川県加賀市発祥のやきもの。小樽の土地にも当時北前船で運ばれたであろう沢山の九谷焼が遺されており、その華やかさから北前船の船主の暮らしぶりと芸術への惜しみない投資が伺えます。 UNGAPLUSは、石川県で九谷焼を学び、現在小樽で活動中の三津和広さんに干菓子の木型と九谷焼で使われる絵の具を使って「OTARU -KUTANI」シリーズを製作していただきました。おめでたい席に使われた伝統的な干菓子の鯛をメデタイオブジェ(BOX入)に。遊び心満載のUNGAPLUSオリジナル作品です。

北前船の船主達が魅せられて北の地に運んだものの中に九谷焼があります。 九谷焼は北前船の船主達が多く居住した石川県加賀市発祥のやきもの。 小樽の土地にも当時北前船で運ばれたであろう沢山の九谷焼が遺されており、その華やかさから北前船の船主の暮らしぶりと芸術への惜しみない投資が伺えます。

お色は、[金色]と[銀色]の2種類からお選びいただけます。


北前船の純白の帆をイメージしたオリジナルギフトボックスに納めてお届けいたします。

[九谷焼について]
九谷焼は、江戸時代前期、大聖寺藩を治めていた初代藩主の前田利治のもとで、鉱山開発の最中、領内の九谷村で磁器の原料となる陶石を発見したことから始まり、「九谷焼」のほかに「大聖寺焼」とも呼ばれるやきものです。

後に、この時期に作られた九谷焼は、「古九谷」と呼ばれ、緑の色絵の具を印象的に配色し、素地の余白をほとんど余すことなく、器全体に色絵の具を鮮やかに塗る (「塗り埋め」) 「青手」や、作品のモチーフを絵画的・写実的に描き、「九谷五彩」と呼ばれる赤・黄・緑・紫・紺青の5色の絵の具を厚く盛り上げて塗る「色絵」など、その独特のスタイルは芸術的評価も高く、現代でも多くの人を魅了しています。

古九谷の窯は50~60年の活動後、生産を終了しますが、その技術は細々ながら地元で継承され、江戸時代後期には大聖寺藩領内、加賀藩領内において、古九谷は再興されます。この時代の九谷焼は「再興九谷」と呼ばれています。

明治から昭和時代前期は、窯元の職人たちが自立し、明治政府の産業振興により、九谷焼の輸出産業が盛んになりますが、明治維新を境に、窯元は藩からの支援が受けられず、自らの手で活路を見出していくようになり、旧大聖寺藩の職人たちは作品の質を高めながら、職人から芸術家へ変貌を遂げ、旧加賀藩の職人たちは、欧米に向けて赤絵の九谷焼を数多く生産するようになりました。

その後、九谷焼は、伝統的な美術工芸品としてのブランドを確立し、「工芸品」の枠を超えた「美術品」としても制作されるようになり、今日は普段使いのものからハレの日を彩る多種多様なデザインの器が生み出されています。