江戸時代、塩分に強い作物として岡山県倉敷市の干拓地で始まった綿花栽培は、北海道から北前船で運ばれたニシン粕を肥料とすることで発展し、現在の倉敷デニムへと繋がりました。
一方、小樽周辺の海岸ではヲタルナイ・タカシマ・ラショロという三つの「場所(商場)」が設けられ、松前藩の家臣たちがアイヌの人々との交易を行っていました。その後、商人による「場所請負制」が始まると、アイヌの人々や道南からの出稼ぎ漁夫を使ったニシン漁が盛んになり、獲れたニシンの多くは肥料(〆粕)として、北前船によって北陸や瀬戸内、大坂など各地へ運ばれていきます。
幕末になるとニシン漁の中心は後志へと移り、タカシマ・ラショロは「千石場所」と呼ばれるほどの漁場となり、小樽の海岸には多くの出稼ぎの和人が住み始めました。
明治30年頃には小樽だけで約9万トンもの水揚げを記録し、その繁栄は今も残る番屋や石蔵倉庫の姿からうかがうことができます。
一枚のデニムの背景には、小樽の海で獲れたニシンと北前船が結び、遠く倉敷の綿花畑まで繋がった、海と大地をめぐる物語が息づいているのです。
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