【第2話】旧小樽倉庫 〜ニシンで始まる物語〜

小樽市総合博物館 館長 石川 直章
2020.12.19 更新






ニシンで始まる物語


運河沿いに、ひときわ目立つシャチホコをあげた石造倉庫。
旧小樽倉庫本庫は、歴史的建造物の多い小樽の中でも、代表的な建造物である。
北前船主が建て、北日本随一の経済都市を支えたこの倉庫の物語を、四国・徳島県から始めるのは、いささか突飛に思われるかもしれない。

徳島の吉野川中流域で江戸時代、手広く肥料商を営んでいた山西家の古文書の中に、北前船主たちにあてた、ニシン粕の委託販売の売り上げ状況を伝える書状が見つかっている(※)。

当時の徳島では藍栽培が最盛期を迎え、その栽培の必需品と言われたものが、ニシン粕であった。
その販売と運搬を担っていた北前船は買積船であり、遠隔地での価格差を利用して商売を成り立たせている。

そこで各地での需要、生産状況などの詳細情報を収集する必要がある。
またこれらの情報を得るための人脈、ネットワークを構築することが求められていた。

このネットワークの中に徳島の諸商人が組み込まれていたのである。
書状のあて先は12 人の北前船主と船頭であるが、その最後に記されているあて先は「西谷庄八殿」となっている。

このニシン粕で財を築いていた西谷が同郷、加賀橋立(現加賀市)の西出孫左衛門とともに、明治20 年代に新しい分野に進出していく。
それが北海道での倉庫業である。



明治後期の小樽倉庫(小樽市総合博物館所蔵)

写真:明治後期の小樽倉庫周辺




倉庫街の誕生


北前船交易の盛衰は別稿にゆずるとして、明治初年から、小樽港には多くの北前船が来航し、その船主の多くは北陸の人々であった。
北前船交易の行き詰まりと、北海道開発の拠点となっていた小樽港の将来性に目をつけ、倉庫業への転身を図った船主も多くいた。

加賀橋立の西谷、西出の二人によって明治23(1890)年、埋め立て整備が終わったばかりの小樽港南浜に木骨石造の倉庫が建てられた。
現在、総合博物館運河館第一展示室に使用している棟である。

そののち、西出家の事情により、倉庫は、同じく北前船で小樽に拠点を求めていた山本久右衛門(二代目)が経営することになる。
このころ、小樽倉庫は現在の「ロ」の字の形に増改築を行い、3000屬砲よぶ大規模な倉庫となる。
屋根のシャチホコはこの時期に設置されたものであろう。



現在の旧小樽倉庫のシャチホコ

写真:現在の旧小樽倉庫のシャチホコ




山本家は陸奥国田名部から松前・江差などで味噌などを商っていたが、二代目久右衛門は明治の時勢を読み、北海道でも屈指の漁業家となった。
同時に帆船(いわゆる北前船)を数隻購入し、「海運王」とも呼ばれ、漁場で生産したニシン粕などを本州各地で売りさばいた。
のちに和船を洋式帆船に買い替えるなど、終始、時代を見る目をもっていた。

そして新潟県から養子に迎えた三代目久右衛門が本格的に倉庫業に進出していく。
近代的な倉庫業は明治20(1887)年創立の東京倉庫(のちの三菱倉庫)が始まりとされる。
三代目久右衛門は明治26(1893)年に小樽倉庫株式会社を設立している。
近代的な物流形態として会社組織の倉庫業を立ち上げ、北海道で初めての営業倉庫として開始しているのである。



開業当時の小樽倉庫内部(明治26年)(小樽市総合博物館所蔵)

写真:開業当時の小樽倉庫内部(明治26年)(小樽市総合博物館所蔵)




さらに三代目久右衛門は、明治37(1904)年に本拠を福山から小樽に移転している。
本格的に全国から注目される新興都市・小樽を中心に、海運、倉庫業を軸に活動を行い、典型的な「小樽商人」として名をはせることになる。

大正2(1914)年に編纂された『小樽』という書籍には「北海道における会社組織倉庫の噂矢で、爾も貸主の信用と貨物の安全とで当港倉庫業を牛耳を執るべきものはと問はば、先づ小樽倉庫株式に第一指を屈せざずばならん」と書かれている。

のちに多くの銀行が進出する小樽であるが、小樽倉庫建設当時はわずか4行のみであった。
営業倉庫は単に荷物を保管するトランクルームではなかった。
倉庫内の商品に対して債券を発行し、それを売買・流通させる金融業のようなことも重要な役割であった。
そのなかで、海岸線の一等地を長大な幅で占有した小樽倉庫は群を抜く存在感を示していた。



現在の旧小樽倉庫 運河側の壁面

写真:現在の旧小樽倉庫 運河側の壁面




海岸に対して横長の構造だけではなく、倉庫に囲まれた中庭の存在が小樽倉庫の特徴であるが、これも当時の倉庫の機能にかかわるものであった。
商品の相場は物流の規模によって変化する。
そこで、倉庫にどのくらいの商品が保管されているかを知ることで、先々の価格を予想することができる。
そのような情報を遮断するために荷捌きをする場所を、人目に触れない中庭に設けたといわれている。

さらに荷馬車の入り口も遮断できるよう、事務棟の一階部分を通路にしていた。
現在の小樽百貨UNGA↑の店舗部分は創立当初の荷馬車の通路跡である。

小樽倉庫は長野県出身の厚三を養子に迎える。
厚三は東京高等商業学校(一橋大学の前身)を卒業しており、近代的な経営手法で小樽の倉庫業をリードし、全国でも有数の経済都市へと発展させる原動力となっていく。

札幌軟石(凝灰岩)とトドマツなどを使用した独特の建築手法も、小樽の建造物の代表例と言える。
小樽百貨UNGA↑の店内や、運河プラザ、総合博物館運河館などを訪れた際は、ぜひ天井や壁にも目をやっていただきたい。
北海道各地から本州へ、本州各地から北海道へ運ばれた様々な商品がそこに置かれていた痕跡を見つけることができるかもしれない。



南側倉庫内部の天井梁

写真:南側倉庫内部の天井梁







※森本 幾子 2004 「幕末期阿波国における地域市場の構造―撫養山西家の形成分析を中心に―」(『ヒストリア』第188 号大阪歴史学会)p104 ほか

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