かつては「俵物三品」と呼ばれたフカヒレ

小樽港海の幸お届け便り vol.96

中国料理としてフカヒレが食べられ始めたのは明の時代と言われています。当時、乾燥させた海参(ナマコ)・鮑(アワビ)・翅(フカヒレ)の三種が、中国では『参・鮑・翅』と称される高級食材でした。それを俵詰めにして長崎から輸出したことから「俵物三品」と呼ばれ、『金・銀・銅』の変わりに決済できる品だったこともあり、江戸幕府にとっては中国との貿易においては重要な輸出品として位置づけられていました。

そのような背景から、かつては全国的に生産が行われていたフカヒレですが、サメ漁の衰退とともに全国的に生産量も減少しました。現在、全国のサメ漁獲高の9割近くが宮城県気仙沼港に水揚げされることから、気仙沼は「サメの水揚げ日本一のまち」として、また「フカヒレ生産日本一のまち」として全国でその名が知られています。

フカヒレの原材料となるのは、近海マグロ延縄船による水揚げ量の多いヨシキリザメですが、 ネズミザメ、アオザメを始め、ほとんどのサメがフカヒレの原材料になっています。鰭は背びれ、胸びれ、尾びれが利用されるほか、腹びれなどの小型の鰭もすべて利用されています。

そのような背景の中、サメの延縄漁業による混獲は、国際的な課題として環境保全団体等から指摘され、2010年代頃から漁業者がサメのヒレだけ切りとって魚体は海に棄てる「シャークフィニング」が大きく取り沙汰されるようになり、世界的にシャークフィニングを禁止する措置が取られてきました。

一方、2021年3月、宮城県・気仙沼でヨシキリザメとメカジキの延縄漁業を対象とする日本初の漁業改善プロジェクト(Fishery Improvemrnt Project)も始まっています。FIPは持続可能な漁業の実現に向けてMSC認証などを取得できるレベルにまで漁業を改善する国際的な取り組みです。




海と歴史を刻む街から口福のおすそわけ。「小樽港 海の幸お届け便」


かつて江戸から明治にかけて日本各地と北海道を結んだ北前船という商船がありました。
その頃から小樽を大きく発展させてきた「春告魚」とは鰊のこと。
ここから始まった小樽の水産加工の歴史は創業100年を超える企業を作り出してきました。
小樽百貨UNGA↑は、小樽水産加工業協同組合とともに、この街を活かしてきた「海の恵み」を全国の皆様へお届けいたします。


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