小樽物語
OTARU “THE” STORY vol.5
小樽とニシン
江戸時代、小樽周辺の海岸には、ヲタルナイ・タカシマ(シクズシ)・ヲショロと3つの「場所(商場)」が設 けられ、当初は松前藩の家臣たちがアイヌの人たちとの交易を行っていました。その後、商人たちによる 「場所請負制」が始まると、アイヌの人たちや道南の出稼ぎ漁夫を使ったニシン漁が盛んになります。 当時、ニシンは綿花や藍の畑に使う「肥料(〆粕)」として大変重宝され、北前船で北陸、瀬戸内、大坂など に大量に運ばれていました。
幕末、ニシン漁の中心が後志へと移るに連れ、タカシマ・ヲショロは千石場所と呼ばれ、小樽の海岸には出 稼ぎの和人が住み始め、明治30年ころには小樽だけで9万トンの水揚げがありました。
ニシン漁の親方などがどれほど多くの財を成したかは、小樽に遺る番屋や石蔵倉庫の姿からも伺えます。
(北海道開拓の村に移築保存)
青山家は安政6年(1859)に山形県から渡道し、小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家です。建網経 営には、番屋をはじめ網倉、船倉のほか海産干場、船入澗など多くの施設、設備を必要としました。鰊漁場 の建物が、集約的に保存されている貴重な文化遺産の一つです。なお、別宅のみ小樽市祝津で現地保存されています。
江戸時代中期から明治時代にかけて、日本海を巡り、物資と文化を運んだ北前船。北海道から上方へ運ばれ たのが昆布、鰊、鮭などの海産物。北前船が行き交う当時の小樽を表現した「小樽海づくし」シリーズ。 北海道産鰊を日高昆布で巻き、合成添加物を使わない秘伝のタレで味付けした「昆布巻」と、脂の乗った鰊 をじっくりと時間をかけて燻製にし、食べやすいひと口サイズの個包装にした「珍味」。北前船の往来と鰊 漁で賑わう小樽の姿を思い浮かべて頂けたら何よりです。
小樽海づくし
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