小樽物語
OTARU “THE” STORY vol.8
小樽運河の歴史
小樽運河の歴史 2023年12月、小樽運河は完成から100年を迎えます。
明治期、小樽港は、北海道開拓の玄関口として様々な物資を運ぶ物流港でした。当時は、沖止まりの大型船から艀に荷を移し、艀から倉庫に収納する荷役(荷物の積み卸し)が一般的でした。このはしけ艀荷役の効率化を目的として、埋立によって対岸を造成したのが小樽運河です。着工より9年後の1923 年に完成。完成当時の規模は全長およそ1300メートル、幅40メートル。完成翌年には600隻近くの艀が行来するほどの活気でした。
その後、昭和に入り、近代的な埠頭の建設が進み、運河の活気は次第に停滞します。車社会の到来により、運河を埋め立て、道路を拡幅する計画が進む中、「このままでは小樽の原風景が消えてしまう」と、「小樽運河を守る会」が発足。
その後10年あまりに渡り、小樽の市民運動の原点とも言える「小樽運河保存運動」が展開され、南側半分が20メートルの幅まで埋め立てられましたが、運河と石造倉庫群のある風景は保たれ、今では重要な観光資源となり、小樽観光を牽引しています。
NAKASHI - 仲仕 -
小樽港の全盛期、運河周辺では積み荷を捌く大勢の仲仕で溢れていました。仲仕とは、港湾労働者のこと。沖に泊まっている船と艀の間で、積み荷を上げ下ろしする人を沖仲仕、艀から倉庫にはしけ荷物を運ぶ人を陸仲仕、倉庫内で荷物を積み上げる人を倉仲仕と呼んだそうです。
港に着いた積み荷は、沖に止まった大型の船から艀に積み替えられ、引き船にひかれて運河を通って、船入間に入り、艀から倉庫へ運ばれました。
当時、目の前が船入間だった旧小樽倉庫にも沢山の仲仕たちが働いていたことでしょう。
UNGAPLUSは、艀と倉庫を行来していた仲仕たちの纏っていた作業着から着想し、小樽在住のファッションデザイナー佐藤氏と協働で、小樽発のオリジナルウエアをつくりました。
半纏から着想。袖が短く、中綿入りで暖かく、動きやすいコートです。
織の細かい綿を使い、シンプルなデザインで大人のカジュアルを追求しました。
作業着の腹掛けから着想したデザイン。
中綿入りで暖かく、前身頃の大きなポケットが特徴です。
織の細かい綿を使い、シンプルなデザインで大人のカジュアルを追求しました。
NAKASHI - 仲仕-
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