当時の栄華が偲ばれる鰊番屋

小樽港海の幸お届け便り vol.32

北海道の日本海側で、明治、大正、昭和の前半に盛んだった鰊漁。網元たちは沢山のやん衆(北海道で鰊漁に雇われた季節労働者)を使ってとても大きな商売をしていました。その網元たちが造った建築住居兼漁業施設(鰊漁場建築)のことを鰊番屋と呼びます。当時は競うように大規模で豪華な番屋が建設されました。

漁期には網元の親方家族とやん衆達は番屋で寝起きをともにしていました。典型的な鰊番屋の構造としては、中央に土間があり、半分はやん衆の寝泊まり用の居住区、もう半分は事務所や網元の立派な住居となっていたようです。大きな番屋になると、そこでやん衆の他に、大工職、鍛冶職、屋根職などを含め、約100〜200人が生活を共にしていたと伝えられています。

現在、維持が難しくなり解体された番屋も多い中、北海道内には10か所を超える番屋が遺されています。小樽では祝津の3大網元(白鳥、青山、茨木)の茨木家が建てた「旧茨木家中出張番屋」や、白鳥家が建てた「旧白鳥家番屋」、「旧近江家番屋」などが遺され、一般にも期間限定で公開されています。小樽以外では小平町にあり、国の重要文化財にも指定された「旧花田家番屋」は、隣接地に道の駅が整備されるなど観光スポットとしても有名です。




海と歴史を刻む街から口福のおすそわけ。「小樽港 海の幸お届け便」


かつて江戸から明治にかけて日本各地と北海道を結んだ北前船という商船がありました。
その頃から小樽を大きく発展させてきた「春告魚」とは鰊のこと。
ここから始まった小樽の水産加工の歴史は創業100年を超える企業を作り出してきました。
小樽百貨UNGA↑は、小樽水産加工業協同組合とともに、この街を活かしてきた「海の恵み」を全国の皆様へお届けいたします。


小樽港 海の幸お届け便
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