今や貴重な日本産のたらこ

小樽港海の幸お届け便り vol.21

たらこの歴史は意外と古く、江戸前期の茶人・遠藤元閑の『茶湯献立指南』(1696年)に、「鱈の子は北国より出る名物也」とあるように、少なくとも江戸時代の初め頃にはすでに食されていたようです。

一般的には1903年(明治36年)頃、北海道で不漁に喘いでいたマダラに代わるものとしてスケトウダラ漁が発展したことから、その卵であるたらこの加工が始まったと言われています。一般的にたらこと呼ばれるものは、スケトウダラ(スケソウダラ)の卵巣を塩漬けにしたものを指します。マダラの卵でたらこが作られることはありません。

昭和30年代くらいまでは「鱈の子(たらのこ)」と呼ばれていましたが、いつ頃から「たらこ」と呼ばれ始めたか判然としていません。北信越地方では、「紅葉子(もみじこ)」との別称もあり、今や辛子明太子の略称として用いられる「明太子」は、発祥の地である福岡ではたらこのことを指します。

辛子明太子とたらこの国内販売比率は6:4〜7:3程度で、たらこを唐辛子漬けに加工した辛子明太子の市場の方が大きいと言われています。

原材料は、1993年のベーリング海の自主的操業中止以降、90%はアメリカやロシアより冷凍モノを買い入れています。日本産のたらこは全体の10%程度に減り、北海道白老町の虎杖浜が一番有名な産地となっています。主に北海道日本海沿岸で延縄漁によって漁獲され、釣り子などの漁で漁獲される「釣り物たらこ」はたいへん希少で、市場に出回ることはまずないようです。





海と歴史を刻む街から口福のおすそわけ。「小樽港 海の幸お届け便」


かつて江戸から明治にかけて日本各地と北海道を結んだ北前船という商船がありました。
その頃から小樽を大きく発展させてきた「春告魚」とは鰊のこと。
ここから始まった小樽の水産加工の歴史は創業100年を超える企業を作り出してきました。
小樽百貨UNGA↑は、小樽水産加工業協同組合とともに、この街を活かしてきた「海の恵み」を全国の皆様へお届けいたします。


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