鮭は捨てるところがない神の魚

小樽港海の幸お届け便り vol.24

日本の朝食と言えば焼いた塩鮭を思い浮かべる人も少なくないはずです。鮭は日本人に最も広く親しまれている魚の一種と言っても過言ではないと思います。日本各地の貝塚から鮭の骨が発見されていることからも、鮭は相当昔から食されてきたことがわかります。平安時代には、儀式に使う献上品として鮭が使われていたという記録も残っています。

鮭はサケ目サケ科サケ属に分類される魚の総称ですが、昔から日本で焼き鮭として火を通して食されてきたのは「シロザケ」と呼ばれる種類です。元々日本では、鮭を生で食べる習慣はほとんどありませんでしたが、1990年以降、ノルウェーやチリの海面養殖による生食用の「アトランティックサーモン(タイセイヨウサケ)」や「トラウトサーモン(ニジマス)」が輸入されるようになり、その人気は年々高まっています。

種類によって違いはありますが、鮭は生まれた川である程度まで成長すると海洋に出ます。3年から5年を海で過ごした後、再び生まれた川に戻ってきて繁殖行為を行い、そこで絶命します。日本国内で水揚げされるのは、河口付近に設置された定置網という方法により、海で十分に成熟し、たっぷりと身を蓄え、産卵を控えた鮭が川に戻ろうとする直前を捕らえます。鮭の旬はこの一斉に川を上っていこうとする秋から冬にかけてとなります。

日本で漁獲される「シロザケ」の生息域は北太平洋(ベーリング海、オホーツク海、日本海を含む)と北極海の一部にかけてです。日本国内で鮭が遡上する川として有名なのは北海道の石狩川や豊平川などがあり、かつてアイヌの人々は鮭をカムイチェ(神の魚)、またシペ(本当の食べ物)と呼んでいました。身を食するだけでなく、鮭の皮は靴や衣服などの材料にも用いられ、捨てるところのない鮭は、アイヌの人々の生活の大半を支えていました。





海と歴史を刻む街から口福のおすそわけ。「小樽港 海の幸お届け便」


かつて江戸から明治にかけて日本各地と北海道を結んだ北前船という商船がありました。
その頃から小樽を大きく発展させてきた「春告魚」とは鰊のこと。
ここから始まった小樽の水産加工の歴史は創業100年を超える企業を作り出してきました。
小樽百貨UNGA↑は、小樽水産加工業協同組合とともに、この街を活かしてきた「海の恵み」を全国の皆様へお届けいたします。


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