ロシアから伝わったイクラの名称と食べ方

小樽港海の幸お届け便り vol.25

プチっと口の中で弾けて、塩味がフワッと広がっていくイクラの食感と風味を愛してやまない人々は、毎年9月から11月にかけ、旬の時期がやってくるのを心待ちにしていると思います。

イクラとはサケの卵を包む薄い膜を取り除き、1粒ずつにほぐして塩漬けや醤油漬けにしたものです。膜に包まれたまま一腹ずつ塩漬けにしたものは筋子と言います。

イクラの語源はロシア語で「魚卵」「小さくて粒々したもの」という意味です。ロシアではキャビアもタラコもすべてイクラと呼びます。元々、江戸時代には「はららご」と呼ばれるなど、日本では筋子とイクラを分ける名称はありませんでしたが、区別するのに都合がよかったためイクラと呼ばれるようになったと言われています。

粒状にばらす食べ方が日本に伝わったのは大正時代で、樺太庁水産試験場が、ロシアから伝えられた製法により保存の利く塩蔵品を試験的に製造したのが始まりだと言われています。

一般的にイクラが知られるようになったのは昭和初期、北洋におけるサケマス漁業が発展し、日魯(現マルハニチロホールディングス)がカムチャッカの工場でイクラを樽詰めにして函館へ運び、函館で「日魯のイクラ」の缶入りを製造販売するようになってからです。

北海道では、秋の味覚として家庭で生筋子からイクラを作ります。ぬるま湯につけて手で丁寧に薄皮を取り除き、粒状にばらします。湯につけるため一度白く濁ってしまいますが、その後の塩味を漬ける工程でまた色がキレイに戻ります。

現在、イクラの味付けは甘口の醤油漬けが主流になり、イクラ丼やイクラの軍艦巻きなどとして多くの方の舌を楽しませています。





海と歴史を刻む街から口福のおすそわけ。「小樽港 海の幸お届け便」


かつて江戸から明治にかけて日本各地と北海道を結んだ北前船という商船がありました。
その頃から小樽を大きく発展させてきた「春告魚」とは鰊のこと。
ここから始まった小樽の水産加工の歴史は創業100年を超える企業を作り出してきました。
小樽百貨UNGA↑は、小樽水産加工業協同組合とともに、この街を活かしてきた「海の恵み」を全国の皆様へお届けいたします。


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